実体験してわかった、Wikipedia編集の難しさ
言わずとしれた人類の叡智の結晶、Wikipedia。
一時期編集をトライしたことがあるのですが、身に沁みてわかったことがあります。
ウィキペディアンになるのはめちゃくちゃ大変
今回は、「なぜウィキペディアンになるのが大変なのか」、実体験を交えて説明したいと思います
~第一章~ Wikipedia記事の厳しいルール
■Wikipediaの大原則
非核三原則ならぬ、Wikipedia記事における3原則というものがあります。
・「中立的な観点」
・「独自研究は載せない」
・「検証可能性」
この原則はすべてのユーザーにとっての金科玉条のようなもので、ルールに乗っ取らない記事にはすぐに「不適切な記事」の警告がつきます。
ざっくりというと、「あなたの意見はいりません」ということになります。
例えば、”リンゴ”についての記事を書く場合、リンゴが美味しいかどうかは関係ないのです。また、「リンゴは美味しい」と書いた場合、あまりにも表現が曖昧です。
「いつ収穫したリンゴの、どの部分を、どのように加工し、栄養価はどうである」
のように5W1Hを駆使してツッコまれないような記載が必要なのです。
めんどくさいですよね
実際にかなりめんどくさいのです……(これもWikipediaならツッコミが入ります)。ではどうやって書けば良いのか?参考としてザクロ(良質な記事認定)の記事の一部を見てみます
食材としての旬の時期は9 - 11月ごろで、果実の皮の赤色が濃くて割れていないものが市場価値のある良品とされる[16]。可食部は果実の中にある赤い粒(種子)の多汁な外種皮で覆っている種衣の部分で、生食される[16][22]。日本では米国カリフォルニア産の輸入品が多い[16]。生で食べるだけでなく加工にも適しており、果汁をジュースとしたり清涼飲料水のグレナディンの原料とするほか、以下のような料理などに用いられる
(中略)
ザクロの可食部に含まれる栄養素は右表のとおり。栄養成分は、カリウムが比較的多く含まれるほか、抗酸化作用があるアントシアニンなどのポリフェノール類が含まれていて、肌を美しく保ったり生活習慣病予防によいといわれている[16]。
また、煮詰めた果汁はイランなどで調味料として使用される[32]。
ーこれは本当に素晴らしい記事で、ザクロを全く知らない人でも、なんとなくザクロがどんな果物かイメージできます。※勿論私が書いたわけじゃないです。
決して「美味しい」「食べやすい」といった表現を使わず、読み手に「きっとザクロは美味しいんだろうな」と思わせる、これが尋常じゃなく難しいのです。
Wikipediaの記事を書くのが案外難しいことが分かっていただけたでしょうか?
次に、「それでは良い記事とはなんなのか」紹介します
~第二章~ 血のほとりに咲いた花
Wikipediaは多くの編集者の汗と血と涙の結晶です。そんな血のほとりに咲いた花、それが「秀逸/良質な記事」です。
記事にも格付けがあり、トップクラスに良い記事には青い星マーク、人智を超えた神記事には金の星マークがつきます
星マークの記事を読んでいくだけで軽く1日潰せます。
この星マークは編集者皆が一度は欲しがるものですが、非常に審査が厳しく全100万以上の記事の中で金星は97記事(0.007%)、青星は約1900記事(0.14%)。幾多の荒波を乗り越えた精鋭中の精鋭と言えます。
記事を一目いただければわかるように、記事の文量、出典ともにマンモス級です。
金星に認定されている三島由紀夫の記事で引用されている文献はなんと708。しかも軒並み論文や、絶版になっているであろう書物ばかり。この記事の作成者は、きっと国会図書館にこもりきりで文献を探したのだろうか……と思わず身震いします。
よく比較される言葉に、「Wikipedia文学」というものがあります
まるで壮大なノンフィクション小説を読んでるかのように錯覚させられるもので、一部は伝説化しています。有名なのは「三毛別羆事件」でしょうか。
これは質としても良い記事です(注釈の使い方で注意)。他にも「なぜここまで力をいれた」とツッコミたくなるような記事が意外とあります。
読んでいて面白いのですが、注意点があります。
「Wikipedia文学のなかに良い記事があるのは間違いないが、Wikipedia文学すべてが良い記事とは限らない」、ということです。
なぜならWikipediaに「編集者の個性」は求められないからです。先述のように編集者の意見や見解を書き込むのはアウトなので、小説のように1つのテーマに基づいたり独自のストーリーを作りあげるのは御法度となっています。その面で本来文学とはかけ離れた存在です。
ドラマチックに記事を書きたければ少し誇張したり、微妙に表現を変えたくなるもの。その結果、「頑張った結果、特定の方向性に持っていくためのストーリーを作ってしまい、注意されている」ものも存在します。
実際に、「三毛別羆事件」が秀逸な記事の選考をかけられた際に有識者から鋭いコメントがあります
・水を差すようですが所謂「三大wikipedia文学」は、読み物としての面白さを示したもので秀逸な記事の選考基準とは異なる観点であり、ツイッターでの評価等も選考において加味されるものではありません。事実、分量や文中の脚注付き出典のバラエティなどは地方病の記事に比べて大きな差があり、まだ深掘りできる余地を残しているように思います。まずは良質な記事での選考から始められるのがよろしいかと思料します
ただし、逆に言えばこれをクリアした「クオリティの高いWikipedia文学」は珠玉の存在。厳格なルールを遵守し莫大な文献を読み込んだ上で、読み手にストーリー性を抱かせるまとまりのある記事を書く。まさに時代小説家もびっくりの高い情報処理能力と文章構成力をそなえたユーザーが、”まるで文学”に昇華させた記事といえます。
代表的なものを以下にあげます
→山梨県で起こった日本住血吸虫症と研究者の壮絶な闘い。有識者からも
この記事が山梨県における住血吸虫症地方病撲滅の歴史を能く説明しているのみならず、このテーマが、公衆衛生史上、非常に重要なトピックであり、学際的にも興味深く、日本が世界に誇るべき医療業績のひとつであることを自然と読者に感じさせる
と絶賛されています
→記事の作成者がマツコの知らない世界に出ていました
→「日本で翡翠は産出されない」という通説が覆されるまでの論争の数々